その時その場でできること。
躊躇なく探すのが、看護師。

藤井 祐美子 (ふじい ゆみこ)
看護師
2015年 看護師研修へ参加
2016年 帰国後、隠岐の島の病院へ
2017年 再び、カンボジアで活動
2020年 帰国後、北海道の病院で派遣看護師
2021年 3度目のカンボジアで現職

よく来たね。おかえり。
大病院にはない時間の中で働く。

昔、テレビでマザー・テレサを観ました。 貧困や病気など、環境に恵まれない人のため尽力する姿が印象的だったのと同時に、同じ地球に生まれた人同士に不平等があることが嫌だった。 のちに私が看護師を目指し、海外やへき地の医療へ興味を持つきっかけとなりました。 看護師になる夢が叶った直後は、自分が行っても力不足だと、すぐには海外行きを躊躇する気持ちもあった。 しかし数年間キャリアを積んだ後も、海外への興味は消えませんでした。 だったら、行くしかない。 ジャパンハートでの国際長期看護師研修終了後、アドバンスドナース※として島根県隠岐の島にある病院で働きました。 東南アジアの病院と、隠岐の島の病院は、雰囲気が似ていたと感じます。 人と人が、密なのです。 日本の大病院だと、看護師の仕事はルーティンで、分単位のスケジュールになっていることもあります。 しかし海外や離島では、時間をかけて人と関われる。 外来の患者さんには「よく来たね」と声をかけますし、本土での治療から帰ってきた患者さんには「おかえり」と言います。 患者さんが亡くなれば、お葬式に参列します。 その距離感に、自分のやりたかった医療ができていると感じました。

※アドバンスドナース: ジャパンハートの国際看護師研修で一定条件をクリアした修了生が、研修でのキャリアを活かし、ジャパンハートの活動地で社会貢献する制度。

ただ痛み止めを飲ませるだけなら、
私のやりたい医療じゃない。

一方、隠岐ではできないと感じたこともあります。 たとえば手術ができないとき。 ある時、船もヘリも出せない悪天候の中、病状が急変した方がいました。 滞在していた病院には一緒に赴任していた外科医が一人と、手術室看護師も私だけ。 でも、使用こそされていなかったけれど手術室も、手術機械もある。 なんとかすれば手術に臨める状況でした。 しかし、日本の基準では十分な準備体制であるとは言えず、本土の大病院でなければ手術はできないと判断されてしまいました。 私たちは朝まで、天候が回復するのを待つしかありませんでした。 すごくすごく、もどかしかった。 最善ではなくともできることがあるなら、やるべきだと思っていたからです。 私がやりたかった医療は、苦しむ患者さんのために、そのときできる最大限を探すこと。 ただ痛み止めを飲ませることではありませんでした。 自分の理想とする医療ができるのはどこだろうか。 考えていたとき、ジャパンハートの事務局から連絡をもらいました。 カンボジアの病院へのオファー。 そうして私は、再び海外で看護師をやることに決めました。

できることを探す姿勢そのものを、
カンボジアで育てたい。

カンボジアの現地看護師の方には、医療のスキルとともに、目の前の人のために尽力する姿勢を積極的に伝えてきました。 現地の病院文化では、患者さんのご家族の力を借りることも多い。 日常動作が難しい方の介助やリハビリは、これまで家族にお任せするのが主流でした。 しかし私たち看護師にもできることがあるなら、やっぱりやりたいと思う。 お風呂に入れない患者さんの洗髪方法を考えたり、望ましい治療が叶わないときでもできることを議論したり。 現在はずいぶん、自ら考えひとりで動いてくれる看護師も増えました。 現地看護師たちが自主的に行動する様や退院した患者さんの元気な姿を見ると、自分の望む医療をやってきてよかったと感じます。 どんな状況でも、可能な限りを探し続けるのが看護師の仕事です。

「みんなで育てる」をシステム化する。

最初は研修でミャンマーとカンボジアに半年、次がカンボジアに3年。 海外で看護師をするのは、これで3度目。 今回は看護師の教育システムを整えるつもりでいます。 これまでの現場教育は、新人に先輩がつきっきりで背中を見せ教える体制。 病院が大きくなり、看護師の人数が増え、これまでとは異なるやり方が必要だと感じるようになりました。 みんなで多くの看護師を育てるシステムができれば、ここの看護全体が次へとレベルアップできる気がする。 それらのやり方を確立するところまで、カンボジアにいる間、私がやっていきたいことです。

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